味方健

多くの日本人が血の通った言葉を忘れた。文字言語・音声言語は必需のものとして、日常、使用されている。しかし、現代社会において、それは多くコミュニケーションの媒体に終わってしまっているのではあるまいか。古代人は言葉の霊妙な働きを信じ、言霊といった。わが国は「言霊の幸はふ国」、すなわち言葉の霊力によって幸いが生まれる国だというのである。言葉には、人の心緒が宿り、情念があり、情調がある。言葉は時間・空間を超えた普遍的なものをも表現し、感じさせる玄妙な力がある。日本人は、いや、世界の機械的文明国の人皆かもしれないが、日常、やりとりする言葉の中に、そういう世界を取り戻すべきである。つまり、シグナル的機能に堕ちた言葉に、シンボルとしての世界を取り戻せ、というのである。 発音の数、語彙の数、文字の数の減少する時代とは、貧困な時代である。文化が疲弊し、精神の凋落する時代である。 日本人の使う言葉が痩せた一大原因は、高開発国通有の機械文明の発達、ことに電脳機器の高精度化が襲う以前に、GHQによって強いられた漢字制限、字形の簡略化、仮名遣いの改変がある。字形学的にも、音韻学的にも、理の通らない漢字字形の簡略化、語法的に理の立たない仮名遣い、格助詞、は・を・へのみに旧を残して、あえて「現代かなづかい」と称したが、「現代かなづかい」は仮名遣いではない。仮名遣いという以上、orthography(正字法)でなくてはならない。「現代かなづかい」はそれを装って、良識派の抵抗を避けた表音表記である。これは、文字表記としてまことに貧困で、安直な方法といわねばならぬ。なぜかといえば、文字とは言葉を表記するものであって、音を写すものではないからである。音を写すのは記号であって、決して文字ではない。